2009.11.07
ボクの音系blogを紹介(^^;
きょうはボクの多数に渉る?blogのうち、音楽系のblogを紹介しよう!
(音楽系とは言ってもギターを弾いているだけだが・・)
びでお屋のオヤジの音綴り
ギターソロで自作曲をUPしているblog。音系ではこのblogがメインだ。
つい先日1万アクセスを達成し、UPしている自作曲は現在121曲。
けっこう頻繁に新作を掲載しているのでヨロシク!
びでお屋のオヤジの音遊び
それほど更新の頻度は多くないが、LIVE録音モノや音大生との合奏等、いろんな方々と
一緒に演奏している曲が中心のblogだ。覗いてみてね!
びでお屋のオヤジの音試し
ギターソロで既存の有名な曲を弾いている。童謡唱歌からロックやクラシックなど、
ジャンル問わずの演奏なので興味ある方はどうぞ。(旧名、インターネットライブハウス)
但し新規UPは現在していないので、過去の演奏を聴いていただくことになる。
ポロロン音綴り
「びでお屋のオヤジの音綴り」のバックアップ用の姉妹blog。
blogをUPしているサイトのサーバートラブルの為、臨時に立ち上げたblog。
今後新企画による、「音系」blogに変えていこうと思う。
以上、音系blogの紹介であったm(__)m

(音楽系とは言ってもギターを弾いているだけだが・・)
びでお屋のオヤジの音綴り
ギターソロで自作曲をUPしているblog。音系ではこのblogがメインだ。
つい先日1万アクセスを達成し、UPしている自作曲は現在121曲。
けっこう頻繁に新作を掲載しているのでヨロシク!
びでお屋のオヤジの音遊び
それほど更新の頻度は多くないが、LIVE録音モノや音大生との合奏等、いろんな方々と
一緒に演奏している曲が中心のblogだ。覗いてみてね!
びでお屋のオヤジの音試し
ギターソロで既存の有名な曲を弾いている。童謡唱歌からロックやクラシックなど、
ジャンル問わずの演奏なので興味ある方はどうぞ。(旧名、インターネットライブハウス)
但し新規UPは現在していないので、過去の演奏を聴いていただくことになる。
ポロロン音綴り
「びでお屋のオヤジの音綴り」のバックアップ用の姉妹blog。
blogをUPしているサイトのサーバートラブルの為、臨時に立ち上げたblog。
今後新企画による、「音系」blogに変えていこうと思う。
以上、音系blogの紹介であったm(__)m
2009.11.04
ビデオ屋、更新
そういえば・・・
今年の11月は現在借りている店舗の、2年間の再賃借契約の更新月であった。
不動産屋の連絡をうけてから気付くボクの経営者としての資質に唖然とする(><
ー 思考が一段と高速回転した ー
経済不況が続く中で、果たしてこのままビデオ屋を経営維持できるのだろうか・・
継続することは勿論確定なのだが、ボクの意志だけではどうすることもできない
世の中の実情が思考と常に対峙し、答えの見つからない問答に掻き立てる不安。
売り上げが激減し、低くてもギリギリ店舗運営ができる「形」で維持している状態。
市内にもはやビデオ店がボクの店しかない「独占」であっても低迷が続く状況。
ここ2年の間で近隣にあったTさんGさんの大手レンタル店が3軒閉店した。
大手ビデオ店はこぞって、「無店舗レンタルの形態」を模索し始めている。
ビデオレンタルの店舗経営は、その支出の大半が固定費であるといってもよい。
年中無休、長時間営業・・光熱費や人件費は他業種に比べ高額となる。
ましてや仕入れたる商材は著作物なので、それなりの権利料金が加算されたもの。
一般に販売されているDVDは安価でも、同一のDVDがレンタル店に入荷するとき、
権利料金込みで1万円は下らない。50万円、100万円と毎月営業経費が係っていく。
物販店や飲食店のように粗利益を経費調整によって単純に算出できる業種ではないのだ。
それでも続ける意味とは・・
文化物を扱っているという、カルチャーショップの経営者としての自負
書店、CDショップ、ビデオ店、この3業種は庶民に最も身近なカルチャーショップだ。
その手軽さや物量から街の文化発信所としての役割と頒布意義を担っていると思われる。
時々、どのような造形でも人間がその英知の基に創作されたものが文化物である。
それは知性と教養の蓄財であり、人間である証と誇りを形づくるものでもある。
その創作物を取り扱う業種の経営者は、少なからず、「その意識」を持たねばならない。
ちなみにビデオ店経営者は、「その理解」を帯胴し経営していると思われる。
「著作権料未払い店ゼロ!」、の実績は、その証明であり、業界のプライドでもある。
ビデオ店をはじめ書店やレコード店などの文化取り扱い店舗もこれに属するが、
今日の取巻く環境下、どこもかしこも苦戦を強いられている。
それは、利用客の激減によるもの・・
庶民の生活が困窮している現状は、言うまでも無く経済不況によるものだ。
ほとんどのご家庭で所得が激減し、10円、20円単位で生活支出を抑制している。
衣・食・住の生活必需品を扱う業種でさえシノギを削っている状況・・・
その影響下、永らく続く閉塞感に満ち溢れた庶民の生活環境・・・
本一冊の価値は一食分の食費に転換されてしまい、CD一枚の価値は一着分の冬物ジャケット、
そして映画DVD一枚は昼食代に換算される、それぞれの日々の暮らし・・
映画好きのお馴染み客がボクの店舗をこれまで支えてくれていた。
だが、そのお馴染み客まで、「生きる」ことで精一杯な時勢・・
その価値はみなさん判っている。映画はすべての文化物の中でも最高峰の創作物だと・・
「たくさん映画は観たいけど、今は金と時間と・・、うん、精神的な余裕がないかな・・」
帰宅途中、チョイ立ち寄りの馴染み客、彼の帰りがけに交わした言葉がすべて・・
こんな世の中、と愚痴をいっても仕様が無いのはわかっている。
「映画が好き」だけでビデオ屋を継続していけるとも思っていない。
カルチャーショップたる自負も経済概念からすると無用なものだということは承知している。
20年間年中無休、長時間営業、薄給を更に下回る所得でも苦することなく続けてきた。
商売変えや商材の開発など考えることなく、ひたすら映画ソフトだけを頒布公開してきた。
家族と大勢の仲間に支えられて、生活をする最低限の所得でも笑って生きてきた。
「道端の、小さき濁花に、心奪われし我が身なりけり」
さぁて、次の2年、はたして訪れる未来の創形はあるのだろうか・・・

今年の11月は現在借りている店舗の、2年間の再賃借契約の更新月であった。
不動産屋の連絡をうけてから気付くボクの経営者としての資質に唖然とする(><
ー 思考が一段と高速回転した ー
経済不況が続く中で、果たしてこのままビデオ屋を経営維持できるのだろうか・・
継続することは勿論確定なのだが、ボクの意志だけではどうすることもできない
世の中の実情が思考と常に対峙し、答えの見つからない問答に掻き立てる不安。
売り上げが激減し、低くてもギリギリ店舗運営ができる「形」で維持している状態。
市内にもはやビデオ店がボクの店しかない「独占」であっても低迷が続く状況。
ここ2年の間で近隣にあったTさんGさんの大手レンタル店が3軒閉店した。
大手ビデオ店はこぞって、「無店舗レンタルの形態」を模索し始めている。
ビデオレンタルの店舗経営は、その支出の大半が固定費であるといってもよい。
年中無休、長時間営業・・光熱費や人件費は他業種に比べ高額となる。
ましてや仕入れたる商材は著作物なので、それなりの権利料金が加算されたもの。
一般に販売されているDVDは安価でも、同一のDVDがレンタル店に入荷するとき、
権利料金込みで1万円は下らない。50万円、100万円と毎月営業経費が係っていく。
物販店や飲食店のように粗利益を経費調整によって単純に算出できる業種ではないのだ。
それでも続ける意味とは・・
文化物を扱っているという、カルチャーショップの経営者としての自負
書店、CDショップ、ビデオ店、この3業種は庶民に最も身近なカルチャーショップだ。
その手軽さや物量から街の文化発信所としての役割と頒布意義を担っていると思われる。
時々、どのような造形でも人間がその英知の基に創作されたものが文化物である。
それは知性と教養の蓄財であり、人間である証と誇りを形づくるものでもある。
その創作物を取り扱う業種の経営者は、少なからず、「その意識」を持たねばならない。
ちなみにビデオ店経営者は、「その理解」を帯胴し経営していると思われる。
「著作権料未払い店ゼロ!」、の実績は、その証明であり、業界のプライドでもある。
ビデオ店をはじめ書店やレコード店などの文化取り扱い店舗もこれに属するが、
今日の取巻く環境下、どこもかしこも苦戦を強いられている。
それは、利用客の激減によるもの・・
庶民の生活が困窮している現状は、言うまでも無く経済不況によるものだ。
ほとんどのご家庭で所得が激減し、10円、20円単位で生活支出を抑制している。
衣・食・住の生活必需品を扱う業種でさえシノギを削っている状況・・・
その影響下、永らく続く閉塞感に満ち溢れた庶民の生活環境・・・
本一冊の価値は一食分の食費に転換されてしまい、CD一枚の価値は一着分の冬物ジャケット、
そして映画DVD一枚は昼食代に換算される、それぞれの日々の暮らし・・
映画好きのお馴染み客がボクの店舗をこれまで支えてくれていた。
だが、そのお馴染み客まで、「生きる」ことで精一杯な時勢・・
その価値はみなさん判っている。映画はすべての文化物の中でも最高峰の創作物だと・・
「たくさん映画は観たいけど、今は金と時間と・・、うん、精神的な余裕がないかな・・」
帰宅途中、チョイ立ち寄りの馴染み客、彼の帰りがけに交わした言葉がすべて・・
こんな世の中、と愚痴をいっても仕様が無いのはわかっている。
「映画が好き」だけでビデオ屋を継続していけるとも思っていない。
カルチャーショップたる自負も経済概念からすると無用なものだということは承知している。
20年間年中無休、長時間営業、薄給を更に下回る所得でも苦することなく続けてきた。
商売変えや商材の開発など考えることなく、ひたすら映画ソフトだけを頒布公開してきた。
家族と大勢の仲間に支えられて、生活をする最低限の所得でも笑って生きてきた。
「道端の、小さき濁花に、心奪われし我が身なりけり」
さぁて、次の2年、はたして訪れる未来の創形はあるのだろうか・・・
2009.10.31
フェルメール来日決定!
この日の朝刊ほど興奮の眼差しで誌面にクギヅケになったことはない。

彼の描写は筆と絵の具とカンヴァスを用いた「限界」を求め、訪れる未来を予告したもの・・
その創形をボクは人類が描いた最初の、「映像」と呼ぶ。
当blogで何回も登場している17世紀の画家、ヨハネス・フェルメール。
その彼の代表作、「真珠の耳飾りの少女」が2012年7月、日本で公開される。
具材の劣化等の理由で門外不出と呼ばれているだけに、この日本公開は非常に
貴重でありまた、「奇跡的」価値が付加されるものだ。勿論、最後の公開であることは必定!
当世の研究者や美術関係者によるフェルメールの残した作品に対する評価は高いのだが、
そのほとんどが「絵画」としての論述や評価であり、写真や映像、あるいは映画として
語られているものではない。「絵画」である以上それは当然ではあるが、ボクが求めた
フェルメールの作品はすべてに、「映像」としての躍動感と美感が具わっているものだった。
ボクが述べるフェルメールは、美術の教育や勉強を経緯した観点ではない。
絵ではない、などと愚言劣序を述べるつもりも毛頭ない。 ただ・・・
「フェルメール先生、タイムマシンでやって来た者ですが、先生が求めたものはコレですね?」
と、携えたカバンから、ビデオカメラとレフカメラを取り出し、その仕様を説明し・・・
「おぉぉっ! コレ、コレ、コレだよ! わたしが求めていたものはっ!」
と、フェルメールから歓喜の抱擁を受けるボクが見える、ということである。
17世紀に生まれた彼は、その時代に許される、「映像表現」の最高位の描写を、「絵画」で
表そうとしたアーティストである。画家という肩書きはあくまで筆、絵の具、カンヴァスでしか
その当時、表現方法がなかったがゆえに称されたもの。
と、言いつつも・・
現世、彼の作品の絵画としての高い評価も、立体、光と影、ストーリー性と、
同時期の著名画家とは一線を隔しているあたり、実はボクと同じ観点からなのかも、ね。
一昨年の、「牛乳を注ぐ女」展での身震いした感動・・
それ以上の感動が2012年に訪れる・・
この3年間、ガンバる目的と意味が見えた (^^)/


彼の描写は筆と絵の具とカンヴァスを用いた「限界」を求め、訪れる未来を予告したもの・・
その創形をボクは人類が描いた最初の、「映像」と呼ぶ。
当blogで何回も登場している17世紀の画家、ヨハネス・フェルメール。
その彼の代表作、「真珠の耳飾りの少女」が2012年7月、日本で公開される。
具材の劣化等の理由で門外不出と呼ばれているだけに、この日本公開は非常に
貴重でありまた、「奇跡的」価値が付加されるものだ。勿論、最後の公開であることは必定!
当世の研究者や美術関係者によるフェルメールの残した作品に対する評価は高いのだが、
そのほとんどが「絵画」としての論述や評価であり、写真や映像、あるいは映画として
語られているものではない。「絵画」である以上それは当然ではあるが、ボクが求めた
フェルメールの作品はすべてに、「映像」としての躍動感と美感が具わっているものだった。
ボクが述べるフェルメールは、美術の教育や勉強を経緯した観点ではない。
絵ではない、などと愚言劣序を述べるつもりも毛頭ない。 ただ・・・
「フェルメール先生、タイムマシンでやって来た者ですが、先生が求めたものはコレですね?」
と、携えたカバンから、ビデオカメラとレフカメラを取り出し、その仕様を説明し・・・
「おぉぉっ! コレ、コレ、コレだよ! わたしが求めていたものはっ!」
と、フェルメールから歓喜の抱擁を受けるボクが見える、ということである。
17世紀に生まれた彼は、その時代に許される、「映像表現」の最高位の描写を、「絵画」で
表そうとしたアーティストである。画家という肩書きはあくまで筆、絵の具、カンヴァスでしか
その当時、表現方法がなかったがゆえに称されたもの。
と、言いつつも・・
現世、彼の作品の絵画としての高い評価も、立体、光と影、ストーリー性と、
同時期の著名画家とは一線を隔しているあたり、実はボクと同じ観点からなのかも、ね。
一昨年の、「牛乳を注ぐ女」展での身震いした感動・・
それ以上の感動が2012年に訪れる・・
この3年間、ガンバる目的と意味が見えた (^^)/
2009.10.28
スラムドッグ$ミリオネア考
今年のハリウッド映画祭(アカデミー賞)で13部門中8部門受賞の映画・・
2008年 イギリス映画
監督:ダニー・ボイル(トレインスポッティング、フルモンティー)
脚本:サイモン・ビューホイ(トレインスポッティング)
撮影:アンソニー@マントル(踊るマハラジャ)
原作:ヴィカス・スワラップ(ぼくとルビーの神様、講談社刊)
出演:ティーヴ・バデル、フリーダ・ヒント、マドル・ミッタム、アニレ・カブール
スラムドッグ$ミリオネア

鳴りモノ入りの鳴り音で観られた方は、「どこが面白いの?」と呟いたはず・・
ハデなアクション映画やお涙頂戴物語でもない。一人の少年の、「そこに至る」までの物語。
淡々と語られる彼の人生プロセスは特殊ではあっても、波乱万丈な感動物語でもない。
貧乏人が、貧乏人の尺度と価値で語る様々な「視点」と、金と権力の持つ「常識」との
歪んだ比較や関係、その根底に流れる人間であるべき本来の意識など、あぶり出せば
きりがないほどの、「人間の姿」を映像で描いた映画といってもよいだろう。
映画は深く味わうべきもの ・・・ 映画は娯楽にあらず!(淀川長治先生)
映画は多々あれど、求めて鑑賞する者に、これほどの感慨深さと学ぶべき座標を提示し、
自身の心の慟哭を促し、思考の転じる豊徳を感受できうる映画は他に無いのではないか・・
(プチあらすじ)
インドはムンバイのスラム街で暮らす孤児、ジャマール。
ハエが飛び交うネグラが家、砂塵と排気ガスに覆われた街がジャマールの日常だ。
だがそんな街は、彼の夢と希望を創形し、訪れる未来の礎を築いていくのだった。
18才のとき、回りの者から薦され軽心からTVの人気番組「クイズ$ミリオネア」に出場する。
ところが彼は数々の難問奇問を突破し、いよいよ決勝最後の一問にまで到達するのである。
掛け金はこれまでに決勝に進むため、「受領拒否」を積み重ねてきた金額、
間違えば全てゼロ、正解すれば一千万ルビー(日本円で約5億円)となる大勝負であった。
そんな折、ある暗躍が進行する。
これまでこのクイズに挑戦した英知、医者や弁護士あるいは有名大学の大学生や研究生、
ことごとく決戦前に敗退し未だに一千万ルビーを手中に収めた者などいなかったのである。
「スラム出身の無教育の孤児が、万一優勝してしまったら、英知の価値が崩壊してしまう」
これに危惧したクイズスポンサー主とTV制作側は、その阻止を画策し謀る。
「おまえ、インチキしてるだろう! 証拠はつかんでいるぞ!スラムのコジ○野郎!」
なんと決戦の最後の一問を待たずしてジャマールは警察に逮捕されてしまうのであった。
インド全土が見守る中、突然の不正疑惑事件。ジャマールは勿論、彼を取巻く者たちの驚嘆は
やがて、「正義と真実」の焔へとくすぶり始めるのだった・・

ー 価値と尺度 ー
人類が永きに渉り積み上げたきた造形。
それは近年、金や時間、地位や名誉といった、「標識」に発展した。
ジャマールの求めたものは、その堕算ではなく純粋に自らの知識や教養への挑戦である。
スラム街に暮らす者どもの金欲に満ちた視線と、「英知の道理」を価値づけ、その付加を
金や地位に転換させる資本主義社会の者たちの視点は、ジャマールを解せば無映だ。
ゴミ箱に捨てられた本、幼き頃交わした仲間との会話、心がトキメいた初恋の女との出逢い、
そのすべてがジャマールの心が求めたものであり、それは彼の教養の礎となったもの。
知識は与えられるものにあらず!ただひたすらに求めるものである!(パスカルの名言)
この映画には3つのテーマが源脈している。未来は創ること、貧富格差の露見と良心の解釈、
そして知識の価値と意味、である。とくに3つめの知識についてであるが・・
ボクはこの映画を観て真っ先に思ったことは、現在全世界で施行されている学校教育が
いかに歪で不自然なことか、ということである。
強制的に学問を与えること自体、そもそも誤りではないだろうか・・
と、いうかぁぁ・・・
ときの権力者たちが、「安定社会を築く担保」として学校教育を施行しているにしかすぎず、
社会生活に於いて平均的尺度と価値観は、刃向かうことを削ぐ為の倫理教育も側帯し、
個の意志を反映させない国家作りをする為に、仕様として教育制度を施しているのである・・
と、私感を述べてみる。
それは格差社会を生み出す温床であり、「勉強ができるよい子」が優遇される実態に合致する。
勉強ができるよい子、は、良い教育を受けた証明として更に学歴社会の申し子に飾られる。
すなわち、「与えられた知識」をクリアーしてきた者だけが社会的優位と価値を保証されるのだ。
教育機会の平等、それは何人も求めれば教育を受けられるという国家保証の憲法・・
金銭的理由や家庭環境等で遮断しては決して許されるものではないはず・・
だが、金や時間、地位や名誉、そして生い立ち、家庭環境、思想や活動・・
または、有名大学卒業の誇示の容認、公官庁や大手企業への就職の優位、とか・・
間違えてもヤンキー野郎が財務省や外務省の官僚になれない社会だ、という誤と歪!
スラム街の孤児で無教育のジャマールが味わった屈辱、この映画で深く考察して頂きたい・・

2008年 イギリス映画
監督:ダニー・ボイル(トレインスポッティング、フルモンティー)
脚本:サイモン・ビューホイ(トレインスポッティング)
撮影:アンソニー@マントル(踊るマハラジャ)
原作:ヴィカス・スワラップ(ぼくとルビーの神様、講談社刊)
出演:ティーヴ・バデル、フリーダ・ヒント、マドル・ミッタム、アニレ・カブール
スラムドッグ$ミリオネア

鳴りモノ入りの鳴り音で観られた方は、「どこが面白いの?」と呟いたはず・・
ハデなアクション映画やお涙頂戴物語でもない。一人の少年の、「そこに至る」までの物語。
淡々と語られる彼の人生プロセスは特殊ではあっても、波乱万丈な感動物語でもない。
貧乏人が、貧乏人の尺度と価値で語る様々な「視点」と、金と権力の持つ「常識」との
歪んだ比較や関係、その根底に流れる人間であるべき本来の意識など、あぶり出せば
きりがないほどの、「人間の姿」を映像で描いた映画といってもよいだろう。
映画は深く味わうべきもの ・・・ 映画は娯楽にあらず!(淀川長治先生)
映画は多々あれど、求めて鑑賞する者に、これほどの感慨深さと学ぶべき座標を提示し、
自身の心の慟哭を促し、思考の転じる豊徳を感受できうる映画は他に無いのではないか・・
(プチあらすじ)
インドはムンバイのスラム街で暮らす孤児、ジャマール。
ハエが飛び交うネグラが家、砂塵と排気ガスに覆われた街がジャマールの日常だ。
だがそんな街は、彼の夢と希望を創形し、訪れる未来の礎を築いていくのだった。
18才のとき、回りの者から薦され軽心からTVの人気番組「クイズ$ミリオネア」に出場する。
ところが彼は数々の難問奇問を突破し、いよいよ決勝最後の一問にまで到達するのである。
掛け金はこれまでに決勝に進むため、「受領拒否」を積み重ねてきた金額、
間違えば全てゼロ、正解すれば一千万ルビー(日本円で約5億円)となる大勝負であった。
そんな折、ある暗躍が進行する。
これまでこのクイズに挑戦した英知、医者や弁護士あるいは有名大学の大学生や研究生、
ことごとく決戦前に敗退し未だに一千万ルビーを手中に収めた者などいなかったのである。
「スラム出身の無教育の孤児が、万一優勝してしまったら、英知の価値が崩壊してしまう」
これに危惧したクイズスポンサー主とTV制作側は、その阻止を画策し謀る。
「おまえ、インチキしてるだろう! 証拠はつかんでいるぞ!スラムのコジ○野郎!」
なんと決戦の最後の一問を待たずしてジャマールは警察に逮捕されてしまうのであった。
インド全土が見守る中、突然の不正疑惑事件。ジャマールは勿論、彼を取巻く者たちの驚嘆は
やがて、「正義と真実」の焔へとくすぶり始めるのだった・・

ー 価値と尺度 ー
人類が永きに渉り積み上げたきた造形。
それは近年、金や時間、地位や名誉といった、「標識」に発展した。
ジャマールの求めたものは、その堕算ではなく純粋に自らの知識や教養への挑戦である。
スラム街に暮らす者どもの金欲に満ちた視線と、「英知の道理」を価値づけ、その付加を
金や地位に転換させる資本主義社会の者たちの視点は、ジャマールを解せば無映だ。
ゴミ箱に捨てられた本、幼き頃交わした仲間との会話、心がトキメいた初恋の女との出逢い、
そのすべてがジャマールの心が求めたものであり、それは彼の教養の礎となったもの。
知識は与えられるものにあらず!ただひたすらに求めるものである!(パスカルの名言)
この映画には3つのテーマが源脈している。未来は創ること、貧富格差の露見と良心の解釈、
そして知識の価値と意味、である。とくに3つめの知識についてであるが・・
ボクはこの映画を観て真っ先に思ったことは、現在全世界で施行されている学校教育が
いかに歪で不自然なことか、ということである。
強制的に学問を与えること自体、そもそも誤りではないだろうか・・
と、いうかぁぁ・・・
ときの権力者たちが、「安定社会を築く担保」として学校教育を施行しているにしかすぎず、
社会生活に於いて平均的尺度と価値観は、刃向かうことを削ぐ為の倫理教育も側帯し、
個の意志を反映させない国家作りをする為に、仕様として教育制度を施しているのである・・
と、私感を述べてみる。
それは格差社会を生み出す温床であり、「勉強ができるよい子」が優遇される実態に合致する。
勉強ができるよい子、は、良い教育を受けた証明として更に学歴社会の申し子に飾られる。
すなわち、「与えられた知識」をクリアーしてきた者だけが社会的優位と価値を保証されるのだ。
教育機会の平等、それは何人も求めれば教育を受けられるという国家保証の憲法・・
金銭的理由や家庭環境等で遮断しては決して許されるものではないはず・・
だが、金や時間、地位や名誉、そして生い立ち、家庭環境、思想や活動・・
または、有名大学卒業の誇示の容認、公官庁や大手企業への就職の優位、とか・・
間違えてもヤンキー野郎が財務省や外務省の官僚になれない社会だ、という誤と歪!
スラム街の孤児で無教育のジャマールが味わった屈辱、この映画で深く考察して頂きたい・・
2009.10.21
モダン・タイムス考
世界中を閉塞感で覆っている経済不況
「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
現状の於かれた生活環境に多くの者が憂い、そして溜息をつく・・
前世イギリスで起きた産業革命以降、これまでに類を見ないほどのインテリジェンスを
手中に収めた人類は、その英知を多方面にめざましく発展させ今日に至った。
それは同時に巨大資本による大量生産の基に築かれてきたと言っても過言ではない。
通貨は対価であり、モノを買ったり売ったりしてその使命を終えるものだ。
だが、合理的大量生産を強く求めた結果、通貨は対価を資本に換える経済システムを
作り出し、「資本力の優位」による序列社会を世界中にバラまいたのだった。
対価意味の変更・・世界中の庶民が求めた、快適で合理的な生活
企業が巨大資本を投じ大量生産をする意味は、ズバリこれである。
経済用語の「需要と供給」ということだが、それは徒弟制度や家内工業で培ってきた
技術や方法ではとうてい追いつけない規模の生産力を意味するものでもある。
「その規模」は全世界レベルであり、当然、その生産力の対価も追随する。
巨大資本を投じ大量生産をし、大量の対価が集まる。すなわち、利益の源泉が生まれる。
その利益は通貨としてではなく投資として位置づけられ、更なる利益追求のもと、新たな
大量生産の廻芽(かいが)に転じるのである。
人の生態は産業革命後、大きく変貌した。
資本主義社会、いわゆる経済主義国家の先導する社会だが、その住民たる人々は
「そのルール」の中で生活している。つまり生活源資は金銭であり労働対価でもある。
その対価は社会生活をするうえで、「共有の価値」を生み出し、社会基盤の安定と合理的な
生活習慣を見出すものとして捉えられる。
例え自分ひとりが山奥の自らの畑で獲れる作物だけで暮そうとしても、住民台帳に
記載されている以上、「税金」という名の金銭が発生する。
税金は字のごとく金銭のみで受け付ける国家運営に欠かせない国の主収入。
経済主義国家では、米や大根で税金を納めることができない、これがその主義である。
金銭が、全ての価値と尺度を社会に反映させる
経済主義国家では、多くの人々は自身の生活の為、その金銭を求め労働をする。
多くの人はそのシステムに組み込まれ、その労働の対価として金銭を受領する。
金銭は求める価値であり、それは相応の労働対価とは別に欲望を充たす性格を兼備する。
(社会主義国家のように均一に労働を国民に課し、共同生産をする国家ではない)
金銭がないと生活ができない社会。金銭がないと社会的評価も低い。金銭がないと・・
今日の個々の生活様式はまさに、この金銭ルールで構築される。
それは大資本により大量に生産されたインテリジェンスが、金さえあれば誰でも手に入れる
ことができる時代だから。前世紀の特権階級だけのプレミアは、もはや遠い過去の話。
巨大資本、大量生産、経済主義、金銭価値と尺度、金銭による労働対価・・・
「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
快適ライフの先導、贅沢の尺度の変更、その築材の一片に、「人の心」は存在しなかった。
1936年 アメリカ映画
監督・脚本:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン
モダン・タイムス

全自動で大量生産する工場に勤める職工の悲哀物語。
機械が全てを支配する工場で働く男は、ことあるごとにハンドメイドしてしまう。
それはより良い製品に仕上げるためにとる、彼の良心からの行為なのだが、
そのたびにシステムが止り、工場長や仲間から怒号と罵声を浴びる。
日々、まるで工場の機械の歯車のごとく組み込まれて働く男の姿・・
1937年に公開された映画は、当時、空想物語の人間社会を喜劇するものだったが、
今日この映画を観るとき、それは空想ではなく現実に巨大資本と大量生産によって
失われていく人心を、既に予見したチャップリンの強烈な風刺映画だったと感じ入るのである。
旧約聖書、神との約束を破りエデンの地にて果実を喰らうアダムとイヴ・・
以降、人は欲望のまま求め、快楽の味をすすり、己の保身と我貫の下に生きてきた。
近代、それは人間の英知と能力によって更に、「欲望と快楽」を増幅させ、神との契約
ではなく、金銭の対価契約によって行動する他に類を見ない動物へと化身した。
「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
うむ、すでに審判は下されたかも・・・
では、その終焉のときに、いや穏やかな終末が訪れるように、
ほんの一言だけ、みんなで・・・
「I LOVE YOU」 ・・・ よろしく!

「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
現状の於かれた生活環境に多くの者が憂い、そして溜息をつく・・
前世イギリスで起きた産業革命以降、これまでに類を見ないほどのインテリジェンスを
手中に収めた人類は、その英知を多方面にめざましく発展させ今日に至った。
それは同時に巨大資本による大量生産の基に築かれてきたと言っても過言ではない。
通貨は対価であり、モノを買ったり売ったりしてその使命を終えるものだ。
だが、合理的大量生産を強く求めた結果、通貨は対価を資本に換える経済システムを
作り出し、「資本力の優位」による序列社会を世界中にバラまいたのだった。
対価意味の変更・・世界中の庶民が求めた、快適で合理的な生活
企業が巨大資本を投じ大量生産をする意味は、ズバリこれである。
経済用語の「需要と供給」ということだが、それは徒弟制度や家内工業で培ってきた
技術や方法ではとうてい追いつけない規模の生産力を意味するものでもある。
「その規模」は全世界レベルであり、当然、その生産力の対価も追随する。
巨大資本を投じ大量生産をし、大量の対価が集まる。すなわち、利益の源泉が生まれる。
その利益は通貨としてではなく投資として位置づけられ、更なる利益追求のもと、新たな
大量生産の廻芽(かいが)に転じるのである。
人の生態は産業革命後、大きく変貌した。
資本主義社会、いわゆる経済主義国家の先導する社会だが、その住民たる人々は
「そのルール」の中で生活している。つまり生活源資は金銭であり労働対価でもある。
その対価は社会生活をするうえで、「共有の価値」を生み出し、社会基盤の安定と合理的な
生活習慣を見出すものとして捉えられる。
例え自分ひとりが山奥の自らの畑で獲れる作物だけで暮そうとしても、住民台帳に
記載されている以上、「税金」という名の金銭が発生する。
税金は字のごとく金銭のみで受け付ける国家運営に欠かせない国の主収入。
経済主義国家では、米や大根で税金を納めることができない、これがその主義である。
金銭が、全ての価値と尺度を社会に反映させる
経済主義国家では、多くの人々は自身の生活の為、その金銭を求め労働をする。
多くの人はそのシステムに組み込まれ、その労働の対価として金銭を受領する。
金銭は求める価値であり、それは相応の労働対価とは別に欲望を充たす性格を兼備する。
(社会主義国家のように均一に労働を国民に課し、共同生産をする国家ではない)
金銭がないと生活ができない社会。金銭がないと社会的評価も低い。金銭がないと・・
今日の個々の生活様式はまさに、この金銭ルールで構築される。
それは大資本により大量に生産されたインテリジェンスが、金さえあれば誰でも手に入れる
ことができる時代だから。前世紀の特権階級だけのプレミアは、もはや遠い過去の話。
巨大資本、大量生産、経済主義、金銭価値と尺度、金銭による労働対価・・・
「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
快適ライフの先導、贅沢の尺度の変更、その築材の一片に、「人の心」は存在しなかった。
1936年 アメリカ映画
監督・脚本:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン
モダン・タイムス

全自動で大量生産する工場に勤める職工の悲哀物語。
機械が全てを支配する工場で働く男は、ことあるごとにハンドメイドしてしまう。
それはより良い製品に仕上げるためにとる、彼の良心からの行為なのだが、
そのたびにシステムが止り、工場長や仲間から怒号と罵声を浴びる。
日々、まるで工場の機械の歯車のごとく組み込まれて働く男の姿・・
1937年に公開された映画は、当時、空想物語の人間社会を喜劇するものだったが、
今日この映画を観るとき、それは空想ではなく現実に巨大資本と大量生産によって
失われていく人心を、既に予見したチャップリンの強烈な風刺映画だったと感じ入るのである。
旧約聖書、神との約束を破りエデンの地にて果実を喰らうアダムとイヴ・・
以降、人は欲望のまま求め、快楽の味をすすり、己の保身と我貫の下に生きてきた。
近代、それは人間の英知と能力によって更に、「欲望と快楽」を増幅させ、神との契約
ではなく、金銭の対価契約によって行動する他に類を見ない動物へと化身した。
「いつからこんな世の中になったんだ・・?」
うむ、すでに審判は下されたかも・・・
では、その終焉のときに、いや穏やかな終末が訪れるように、
ほんの一言だけ、みんなで・・・
「I LOVE YOU」 ・・・ よろしく!
2009.10.17
飛鳥へ part2
奈良を訪れた理由は演奏会参加のためである。
意識的にこの地を求めたものではない。
だが、初踏のこの地は、いまだにボクの感性に余韻となって残っているのである。
般若寺〜コスモス灯り
演奏会を催った場所は、般若寺というお寺だ。俗称、「コスモス寺」という。

このお寺は国の重要文化財にも指定されている格式と由緒のある寺だ。
遥か昔、この地が平城京と呼ばれた時代、大陸から仏教を中心に多くの文化や知識、
教養がもたらされた。奈良の大仏をはじめ歴史上重要な建立物が数多く創られたのも
ちょうどこの時代だ。 遥かなる飛鳥、その悠秋に心を奪われたのはボクだけではあるまい。
般若寺もそのひとつだが、今日その容姿を見るにあたり、その厳格なる歴史の重積の
態ではなく、境内を埋め尽くすコスモスの華麗な彩に、まるでファンタジーの世界に
浸るような神秘的なものだった。

特に演奏会開始時間の夕方から夜にかけて、その彩は更に息づき始め
境内を照らす500基もの創作灯篭が、訪れた者を、「その世界」へ誘うにふさわしい
淡麗と幻影に浮かぶのであった。

(GORO’S SHOTS)
夜衣にまみれてもなお、
色鮮やしきその彩は、
飛鳥の夢創と映りし、「時」の余韻 ー竹林斎ー

飛鳥の創形・・・
いうまでもなく日本国家として最初に機能した行政府が大和朝廷である。
幾代にも渉り培われてきたその英知の基は、中国大陸からもたらされた仏教であった。
それは文化、知識、教養、同時に農耕や鉄鋳、建築などの技術も兼備するものだった。
いまでこそ日本は文化国家として国際的に君臨はしているが、国土の四方を海で囲まれた
地に科学的な航海法も無い時代、はるばる訪れた英知は、「奇跡的」と言っても過言では
ないであろう。仮に渡航方法は確立されていたとしても、「人員の命」は保証されていたとは
言い難いものだったのではないだろうか・・
今、目の前にある数々の建立物を眺めみるとき、雅なる飛鳥の創形に表された櫂は、
多くの無名志士たちの、志半ばで海の藻屑と消え失せた無念と残痕に縁取られた
勇者どもの、「魂の叫び」を垣間見てしまうのであった。
奈良を訪れていた・・・無意識に
ほんのわずか悠久の時に思いを馳せた・・無意識に
般若寺の本堂・・・思わず手を合わせ、この地に呼ばれた理由(ワケ)を拝す
於かれた我が身に不平を述べ、生きるのが辛いと吐白する。
この組み込まれた柱のひとつも創し得ない己に、ただ唖然とするのみ・・
前を向け、未来を見よ!愚痴を述べたところで
避けられるものなどひとつもない!
一喝を喰らい、あらためて己の未熟さを痛感した、奈良日帰り旅であった・・

意識的にこの地を求めたものではない。
だが、初踏のこの地は、いまだにボクの感性に余韻となって残っているのである。
般若寺〜コスモス灯り
演奏会を催った場所は、般若寺というお寺だ。俗称、「コスモス寺」という。

このお寺は国の重要文化財にも指定されている格式と由緒のある寺だ。
遥か昔、この地が平城京と呼ばれた時代、大陸から仏教を中心に多くの文化や知識、
教養がもたらされた。奈良の大仏をはじめ歴史上重要な建立物が数多く創られたのも
ちょうどこの時代だ。 遥かなる飛鳥、その悠秋に心を奪われたのはボクだけではあるまい。
般若寺もそのひとつだが、今日その容姿を見るにあたり、その厳格なる歴史の重積の
態ではなく、境内を埋め尽くすコスモスの華麗な彩に、まるでファンタジーの世界に
浸るような神秘的なものだった。

特に演奏会開始時間の夕方から夜にかけて、その彩は更に息づき始め
境内を照らす500基もの創作灯篭が、訪れた者を、「その世界」へ誘うにふさわしい
淡麗と幻影に浮かぶのであった。

(GORO’S SHOTS)
夜衣にまみれてもなお、
色鮮やしきその彩は、
飛鳥の夢創と映りし、「時」の余韻 ー竹林斎ー

飛鳥の創形・・・
いうまでもなく日本国家として最初に機能した行政府が大和朝廷である。
幾代にも渉り培われてきたその英知の基は、中国大陸からもたらされた仏教であった。
それは文化、知識、教養、同時に農耕や鉄鋳、建築などの技術も兼備するものだった。
いまでこそ日本は文化国家として国際的に君臨はしているが、国土の四方を海で囲まれた
地に科学的な航海法も無い時代、はるばる訪れた英知は、「奇跡的」と言っても過言では
ないであろう。仮に渡航方法は確立されていたとしても、「人員の命」は保証されていたとは
言い難いものだったのではないだろうか・・
今、目の前にある数々の建立物を眺めみるとき、雅なる飛鳥の創形に表された櫂は、
多くの無名志士たちの、志半ばで海の藻屑と消え失せた無念と残痕に縁取られた
勇者どもの、「魂の叫び」を垣間見てしまうのであった。
奈良を訪れていた・・・無意識に
ほんのわずか悠久の時に思いを馳せた・・無意識に
般若寺の本堂・・・思わず手を合わせ、この地に呼ばれた理由(ワケ)を拝す
於かれた我が身に不平を述べ、生きるのが辛いと吐白する。
この組み込まれた柱のひとつも創し得ない己に、ただ唖然とするのみ・・
前を向け、未来を見よ!愚痴を述べたところで
避けられるものなどひとつもない!
一喝を喰らい、あらためて己の未熟さを痛感した、奈良日帰り旅であった・・
2009.10.14
飛鳥へ part1
古都奈良に出向いた。 得意の日帰り小旅行気分である。
ことあるごとに一緒に演奏させていただいている二胡奏者、Sioriちゃんと
とあるお寺の、「コスモス祭り」での演奏会に参加するため訪れることとなった。
奈良は初めて行く所である。
一般的には修学旅行で訪れる場所ではあるが、ボクの修学旅行は、中学が
北海道、高校が京都〜琵琶湖〜大阪、であったがゆえに、初踏の地なのだ。
だが、歴史が大好きなボクにとって奈良はメジャーな場所ではある。
一度も訪れたことがなくても、「その発祥の地」の基礎データは知識として多少持っている。
その昔、飛鳥と呼ばれた時代、この地は日本の政治の中心地であった。
いわゆる平城京があった所。大和朝廷、国事の全てはこの天皇制政府が司っていたが、
のちに聖徳太子が摂政政治(天皇代行政治)を施き、その後の国の政治は永い間
この政治手法を執ることになったのである。
「その発祥の地」、すなわち、天皇に成り代わり朝廷の役人たちによって国事が施行される
政治、今日まで脈々と続く、「官僚政治」幕開けの地でもある。
「奈良」の固有名詞は日本史教科書はもとより、世界的にも有名地である故の感あり。
ないより降り立って一目瞭然、ガイジン観光客の多さがその裏打ちだ!
Sioriちゃんの二胡演奏会のお誘いを受け訪れた奈良・・
今日に至る日本文化の創生の地に出でしこの秋の情景・・・
「その友」との絆を因果と悟り、東大寺「華厳」の説法にその確信を見る。
今回は時間的に多くは巡られなかったが、是非もう一度、いや何回でも訪れてみたい
飛鳥の悠久と、建立物の観悦の極みの余韻に浸った日帰りの奈良旅行であった。
携帯電話のカメラでパシャリ

(上)奈良公園の鹿、東大寺本殿、(下)東大寺山門像、大仏像
Special thanks to GORO、Siori & itoh、my friends

ことあるごとに一緒に演奏させていただいている二胡奏者、Sioriちゃんと
とあるお寺の、「コスモス祭り」での演奏会に参加するため訪れることとなった。
奈良は初めて行く所である。
一般的には修学旅行で訪れる場所ではあるが、ボクの修学旅行は、中学が
北海道、高校が京都〜琵琶湖〜大阪、であったがゆえに、初踏の地なのだ。
だが、歴史が大好きなボクにとって奈良はメジャーな場所ではある。
一度も訪れたことがなくても、「その発祥の地」の基礎データは知識として多少持っている。
その昔、飛鳥と呼ばれた時代、この地は日本の政治の中心地であった。
いわゆる平城京があった所。大和朝廷、国事の全てはこの天皇制政府が司っていたが、
のちに聖徳太子が摂政政治(天皇代行政治)を施き、その後の国の政治は永い間
この政治手法を執ることになったのである。
「その発祥の地」、すなわち、天皇に成り代わり朝廷の役人たちによって国事が施行される
政治、今日まで脈々と続く、「官僚政治」幕開けの地でもある。
「奈良」の固有名詞は日本史教科書はもとより、世界的にも有名地である故の感あり。
ないより降り立って一目瞭然、ガイジン観光客の多さがその裏打ちだ!
Sioriちゃんの二胡演奏会のお誘いを受け訪れた奈良・・
今日に至る日本文化の創生の地に出でしこの秋の情景・・・
「その友」との絆を因果と悟り、東大寺「華厳」の説法にその確信を見る。
今回は時間的に多くは巡られなかったが、是非もう一度、いや何回でも訪れてみたい
飛鳥の悠久と、建立物の観悦の極みの余韻に浸った日帰りの奈良旅行であった。
携帯電話のカメラでパシャリ

(上)奈良公園の鹿、東大寺本殿、(下)東大寺山門像、大仏像
Special thanks to GORO、Siori & itoh、my friends
2009.10.06
歪な社会
応援をしているわけじゃないが、亀井金融庁大臣の発言が注目を集めている。
8月の衆議員選挙前、経団連との会合の席でこのように述べたという。(私釈含む)
去年起きた殺傷事件の内容をみると、家族や親族そして仲間との争いごとから
事件に発展したケースがあまりに多くみうけられた。
本来、「信頼できる人間」に対しても刃を向ける行為を検知するにあたり、その考察の
過程で、「歪な人間社会」の存在を無視するわけにはいかないのである。
「歪な人間社会」、それは今日の低迷経済と密接に関係していると思われる。
すなわち、企業の、「人心を欠いた経営」が招いた、悪の情操であり温床である。
その「責任」をあなたたち経営者は、どう捉えているのか!?
と、いった内容だった、とか・・・
これに対し経団連会長が、「ソレって、私たちの責任ですか?」と、同じく同席した
経団連加盟の経営者たちと共に、あっけにとられていたという。
亀井静香・・・その容態からは及びもつかない華麗なお名前・・・(^^)失礼
次男くんが卒業した都立大泉高校出身の政治家として、名前は以前から知ってはいた。
毒舌で知られ前々政権下、当時の総理大臣、小泉氏を称して、「チンピラ」と名指しした
御人でもある。のちに自身の選挙区にホリエモンを刺客として送り込まれ、落選の危惧を
味わったが、かろうじて戦勝し以降、郵政民営化反対の先鋒隊長として活動している政治家だ。
歪な社会を作ったあんたらが悪い!
企業経営者を前に吠えた一喝・・・
ここだけはボクも同感!
「利益尊重」を企業の成果とするあまり人心の欠落した経営を施いた、「彼ら」が悪い!
それに加担するメディア、そして文化的形態、「勝ち残る」者だけが暮せる社会を作った
責任は、その他の「保身者」たちも同罪である。
CM放送の愚態・・・たとえば、、
24時間、働けますか!? ・・・ 不可能だろ?殺す気か!?
ソリューション、それは人の力 ・・ 経営戦略の為、人を「歯車配置」するのか?
カゼをすばやく治し快適出勤 ・・・ アホッ! 体調崩したら家で休んでろ(><!
なに気に流れているCMだが、コレらに限らず、「非人道」なCMの多さに驚いてしまう。
もう何年も前からこのblogでも述べているけど・・
経済主義による国家、社会基盤、そろそろ終わらせよう、政治家方よ!!
もしこの理念に基づいた政策に反発するヤツラが、「力づく」で阻止しようとしてきたら・・
その信念を貫くために、自衛隊の「武力」を使用することも容認します!
現代の日本、多くの国民は非常手段でもそのことに賛同するはずです!
それだけ日本は・・・自○党と経済界によって
正義も道徳も存在しない、歪な社会になってしまった!
8月の衆議員選挙前、経団連との会合の席でこのように述べたという。(私釈含む)
去年起きた殺傷事件の内容をみると、家族や親族そして仲間との争いごとから
事件に発展したケースがあまりに多くみうけられた。
本来、「信頼できる人間」に対しても刃を向ける行為を検知するにあたり、その考察の
過程で、「歪な人間社会」の存在を無視するわけにはいかないのである。
「歪な人間社会」、それは今日の低迷経済と密接に関係していると思われる。
すなわち、企業の、「人心を欠いた経営」が招いた、悪の情操であり温床である。
その「責任」をあなたたち経営者は、どう捉えているのか!?
と、いった内容だった、とか・・・
これに対し経団連会長が、「ソレって、私たちの責任ですか?」と、同じく同席した
経団連加盟の経営者たちと共に、あっけにとられていたという。
亀井静香・・・その容態からは及びもつかない華麗なお名前・・・(^^)失礼
次男くんが卒業した都立大泉高校出身の政治家として、名前は以前から知ってはいた。
毒舌で知られ前々政権下、当時の総理大臣、小泉氏を称して、「チンピラ」と名指しした
御人でもある。のちに自身の選挙区にホリエモンを刺客として送り込まれ、落選の危惧を
味わったが、かろうじて戦勝し以降、郵政民営化反対の先鋒隊長として活動している政治家だ。
歪な社会を作ったあんたらが悪い!
企業経営者を前に吠えた一喝・・・
ここだけはボクも同感!
「利益尊重」を企業の成果とするあまり人心の欠落した経営を施いた、「彼ら」が悪い!
それに加担するメディア、そして文化的形態、「勝ち残る」者だけが暮せる社会を作った
責任は、その他の「保身者」たちも同罪である。
CM放送の愚態・・・たとえば、、
24時間、働けますか!? ・・・ 不可能だろ?殺す気か!?
ソリューション、それは人の力 ・・ 経営戦略の為、人を「歯車配置」するのか?
カゼをすばやく治し快適出勤 ・・・ アホッ! 体調崩したら家で休んでろ(><!
なに気に流れているCMだが、コレらに限らず、「非人道」なCMの多さに驚いてしまう。
もう何年も前からこのblogでも述べているけど・・
経済主義による国家、社会基盤、そろそろ終わらせよう、政治家方よ!!
もしこの理念に基づいた政策に反発するヤツラが、「力づく」で阻止しようとしてきたら・・
その信念を貫くために、自衛隊の「武力」を使用することも容認します!
現代の日本、多くの国民は非常手段でもそのことに賛同するはずです!
それだけ日本は・・・自○党と経済界によって
正義も道徳も存在しない、歪な社会になってしまった!
2009.10.03
朗読とピアノ演奏
昨日、店の会員で詩人のTさんといってきた。その道では著名なTさんのご招待だ。
「松浦このみさんの詩の朗読と、西村由紀江さんのピアノ演奏会」

代々木上原にある、「ムジカーザ」という所。
駅を降りて2〜3分の好立地だが、坂の途中の一見コンクリ住宅のような建物だ。
中に入るとパイプ椅子が並べられ・・
そうね50脚ほどが整列、イメージしていたライブハウスではない容態に少し驚いたかな・・
ボクは朗読とピアノの演奏会は初めてだ。
事前にTさんから、「眠くなるからガムでも噛んで」のレクチャーは授かっていたものの
あきらかに、「音楽会」ではないその雰囲気に、席についてもソワソワしていたね・・
20坪ほどと小さいくライブハウスではないが、照明そして音響は素晴らしかった!
50席ほどを埋めた方々の耳元まで、その吐息すら聞こえてくる抜群の音響設備に
思わず唸ってしまったほどだ。 ここはふだん何を主に催っているところなのか不明だが、
ここのオーナーのセンスと、「その知識」に脱帽である。ボクも弾いてみたい、素直に思った。
すごくこじんまりとした空間、館照明が静かにおちる・・淡いブルーと頭上の柔らかな白灯・・
松浦このみさんの詩の朗読が始まる。 淡々と語られる言葉があたりを包み込んでいく。
「朗読とは字を読むことではない。字を言葉に変えて表現すること。映画も同じでしょ?」
詩人のTさんが話すこの意味を、松浦このみさんの朗読がまさに裏打ちしてくれた。
付け加えるならば、字を言葉に変え表現をする行為は我々の日常の範疇であるが、
その言葉をさらに組成させ、「造形」の域まで到達させたものが朗読ではないだろうか・・
じつに彼女の放つ言葉は明白で、訪れた者たちを愛しさと優しさの空間に招き入れ、
漂う吐言は書の標(しるべ)となって、五感に染み込んでいくものであった。
二編の後、ピアニストの西村由紀江さんが登場した。ここからお二人のコラボレーション
ただ、ボク的に、ではあるが、普段音楽の方が近い耳環境なので、どうしても西村さんの
ピアノに感性意識が向いてしまっていた。勿論、松浦さんの朗読は奏でられる美しい旋律と
息の合った絶妙感が感性を刺激し、まるで「映像」となってボクの心柱にまで踏み込んで
くるものであるが、手先を、足元を、その表情を、そしてその技を、「のがすものか」という
別の思考が常に西村さんを追いかけていたので、朗読と音楽を一体させ鑑賞するまでには
至らなかった・・・残念(>< そう、いささかウザイぞ、もうひとりのオレ、である(汗
西村由紀江さん
ボクは彼女のことをまったく知らなかったが、松浦さんの紹介から著名な方だと理解した。
NHKの、「趣味悠遊」やJーWAVEで番組を持ち、自身のCDアルバムを30枚も出して
いる美貌も兼ね備えたピアニストであった。全国ツアーも頻繁におこなっているメジャーな御人。
「こんな小さな所」で本来演奏する方ではないが、西村さん自らがすすんで、「修行」と称し
毎年参加しているとのことだ。その説明から彼女の音楽に対する思考がボクと類似した
ところもあり、共感と目指す座標の「志」にひときわ強く拍手していたような気がする。
「私、ピアノ、実はヘタなんですよ・・・」
ピアニスト、という肩書きからの己の技術を謙遜したのだろうが、ハナレワザを弾くだけが
上手下手の尺度ではない。一音一音にまるで魂が乗り移ったごときの音色をしたためた
彼女のピアノは、ボクにはブーニンより数段格上の、「技」として感受できるものだった。
悲しいかな、超人間技を求めるヤカラの、「音楽志向」がその評価の対象とされる憂い、
いや音楽に限らず、すべての創作物に課せられた宿命・・・
「無知」な者ほどソレを求め、誤った高位な評価に金が集まる刹那・・
「西村さんがメジャーとして活躍している方でホントよかった」
帰りぎわ控え室で彼女にそう伝えた。彼女のキョトンとした瞳はボクの記憶に刻まれたね!
素晴らしい時間の贈り物をしてくれたTさんに帰りの電車の中でお礼を述べる。
するとボクにこう話してくれた。
言葉を使って日々を送る生きものって人間だけですよ。
たとえケンカするにしても言葉がないとケンカだと認識できない(笑
不思議なもんで、言葉を作っている者からするとその言葉が日常邪魔でしょうがない。
編集者や出版社とのやりとり、めんどうくさいというのではなく、真意を伝えるために
一生懸命になってしまう。買い物にしてもアレコレ質問したり、値段を聞くにしても、ね。
ワタシの話しがドンピで相手に伝わればよいが、相手にもその理由や意向があるわけで、
ともするとワタシが条件を変えて話さなければ成立しないときだってあるんです。
言葉は伝えること、と単純に割り切ればいいんでしょうがその条件を満たすために
真意まで変えなければならない状態に陥ると、「言葉とはなんて邪魔な存在なのだ」と
つくづく考えこんでしまうんですよ。アーと言えばイーと返ってくる規則性でもあれば、ね・・
ま、もっともだから、「人間」というヤツなんでしょうね。面白いですね。
Tさんのその事柄はボクもわからなくもないが、ボクにとって言葉は伝達手段にしかすぎず、
「真意」が曲がろうが下がろうが伝わればよいのであるのだが、さすがに詩人ともなると
「その真理」まで掘り下げた言葉の意味の伝達に意識が働くものなのか、と驚いてしまった。
ともあれ、言葉と音楽の創造にふれ、充分に堪能させていただいたTさんに感謝である。
うむ、季節は秋!チョピットあたま良くなったような気がした夜だった・・・(^^)/

「松浦このみさんの詩の朗読と、西村由紀江さんのピアノ演奏会」

代々木上原にある、「ムジカーザ」という所。
駅を降りて2〜3分の好立地だが、坂の途中の一見コンクリ住宅のような建物だ。
中に入るとパイプ椅子が並べられ・・
そうね50脚ほどが整列、イメージしていたライブハウスではない容態に少し驚いたかな・・
ボクは朗読とピアノの演奏会は初めてだ。
事前にTさんから、「眠くなるからガムでも噛んで」のレクチャーは授かっていたものの
あきらかに、「音楽会」ではないその雰囲気に、席についてもソワソワしていたね・・
20坪ほどと小さいくライブハウスではないが、照明そして音響は素晴らしかった!
50席ほどを埋めた方々の耳元まで、その吐息すら聞こえてくる抜群の音響設備に
思わず唸ってしまったほどだ。 ここはふだん何を主に催っているところなのか不明だが、
ここのオーナーのセンスと、「その知識」に脱帽である。ボクも弾いてみたい、素直に思った。
すごくこじんまりとした空間、館照明が静かにおちる・・淡いブルーと頭上の柔らかな白灯・・
松浦このみさんの詩の朗読が始まる。 淡々と語られる言葉があたりを包み込んでいく。
「朗読とは字を読むことではない。字を言葉に変えて表現すること。映画も同じでしょ?」
詩人のTさんが話すこの意味を、松浦このみさんの朗読がまさに裏打ちしてくれた。
付け加えるならば、字を言葉に変え表現をする行為は我々の日常の範疇であるが、
その言葉をさらに組成させ、「造形」の域まで到達させたものが朗読ではないだろうか・・
じつに彼女の放つ言葉は明白で、訪れた者たちを愛しさと優しさの空間に招き入れ、
漂う吐言は書の標(しるべ)となって、五感に染み込んでいくものであった。
二編の後、ピアニストの西村由紀江さんが登場した。ここからお二人のコラボレーション
ただ、ボク的に、ではあるが、普段音楽の方が近い耳環境なので、どうしても西村さんの
ピアノに感性意識が向いてしまっていた。勿論、松浦さんの朗読は奏でられる美しい旋律と
息の合った絶妙感が感性を刺激し、まるで「映像」となってボクの心柱にまで踏み込んで
くるものであるが、手先を、足元を、その表情を、そしてその技を、「のがすものか」という
別の思考が常に西村さんを追いかけていたので、朗読と音楽を一体させ鑑賞するまでには
至らなかった・・・残念(>< そう、いささかウザイぞ、もうひとりのオレ、である(汗
西村由紀江さん
ボクは彼女のことをまったく知らなかったが、松浦さんの紹介から著名な方だと理解した。
NHKの、「趣味悠遊」やJーWAVEで番組を持ち、自身のCDアルバムを30枚も出して
いる美貌も兼ね備えたピアニストであった。全国ツアーも頻繁におこなっているメジャーな御人。
「こんな小さな所」で本来演奏する方ではないが、西村さん自らがすすんで、「修行」と称し
毎年参加しているとのことだ。その説明から彼女の音楽に対する思考がボクと類似した
ところもあり、共感と目指す座標の「志」にひときわ強く拍手していたような気がする。
「私、ピアノ、実はヘタなんですよ・・・」
ピアニスト、という肩書きからの己の技術を謙遜したのだろうが、ハナレワザを弾くだけが
上手下手の尺度ではない。一音一音にまるで魂が乗り移ったごときの音色をしたためた
彼女のピアノは、ボクにはブーニンより数段格上の、「技」として感受できるものだった。
悲しいかな、超人間技を求めるヤカラの、「音楽志向」がその評価の対象とされる憂い、
いや音楽に限らず、すべての創作物に課せられた宿命・・・
「無知」な者ほどソレを求め、誤った高位な評価に金が集まる刹那・・
「西村さんがメジャーとして活躍している方でホントよかった」
帰りぎわ控え室で彼女にそう伝えた。彼女のキョトンとした瞳はボクの記憶に刻まれたね!
素晴らしい時間の贈り物をしてくれたTさんに帰りの電車の中でお礼を述べる。
するとボクにこう話してくれた。
言葉を使って日々を送る生きものって人間だけですよ。
たとえケンカするにしても言葉がないとケンカだと認識できない(笑
不思議なもんで、言葉を作っている者からするとその言葉が日常邪魔でしょうがない。
編集者や出版社とのやりとり、めんどうくさいというのではなく、真意を伝えるために
一生懸命になってしまう。買い物にしてもアレコレ質問したり、値段を聞くにしても、ね。
ワタシの話しがドンピで相手に伝わればよいが、相手にもその理由や意向があるわけで、
ともするとワタシが条件を変えて話さなければ成立しないときだってあるんです。
言葉は伝えること、と単純に割り切ればいいんでしょうがその条件を満たすために
真意まで変えなければならない状態に陥ると、「言葉とはなんて邪魔な存在なのだ」と
つくづく考えこんでしまうんですよ。アーと言えばイーと返ってくる規則性でもあれば、ね・・
ま、もっともだから、「人間」というヤツなんでしょうね。面白いですね。
Tさんのその事柄はボクもわからなくもないが、ボクにとって言葉は伝達手段にしかすぎず、
「真意」が曲がろうが下がろうが伝わればよいのであるのだが、さすがに詩人ともなると
「その真理」まで掘り下げた言葉の意味の伝達に意識が働くものなのか、と驚いてしまった。
ともあれ、言葉と音楽の創造にふれ、充分に堪能させていただいたTさんに感謝である。
うむ、季節は秋!チョピットあたま良くなったような気がした夜だった・・・(^^)/
2009.09.26
個人レッスン
小学5年生のお子様にギターを教えることになった(^^;
地元の歯医者さん宅の男の子だ。

もともと当店の会員であるお母さんとチョクチョク店には訪れていたので、
まるきり初対面というわけではない。スムーズにレッスンに入っていける。
むしろ彼の一家の方が、ボクがギターを弾くことに驚きの声をあげ、彼も
いつもの「ビデオ屋のオヤジ」のノリではない分、チョッと緊張していたようだったかな・・
「おじさん、ギター弾けるんだ・・」
8月も後半、まだまだ暑く酷しいある日のこと、バックヤードでギターを弾いていたときだった。
ふっ、と見ると店内との境であるドアの隙間から、クリクリの目玉がボクを見据えていたのだ。
店が暇だとどうにも労働意欲が涌かない。10坪程度の店内では業務も限られてしまう。
原稿依頼やボランティアごと等、店と直接関係ない諸事でもあればソレを中心に気持ちを
持っていけるが、なんにもないとただカウンターに居るだけの状態・・
1,2時間、時計とニラメッコが続けばいやおうなしにカウンターから遠ざかろうとする。
で、向かう先がバックヤード。 ここには常にギターが置いてある。 ポロン、と息抜き場所。
そんな暇つぶしでギターを弾いていたときに彼が訪れた。そもそもはコレである・・
彼のお母さんに聞くと彼は所沢にある音楽教室でギターを習っているという。
週一のレッスン、おもに音階理論と和音(コード)を就業の素とした課題曲の練習が主と・・
ギターの場合、音楽の三要素、すなわち旋律、和音、リズムのうち「和音」が最もその特筆
される楽器である。単音でもなく叩きつける打楽器でもない、和音の美しい楽器だ。
もっとも、あらゆる楽器中でもピアノとギターが「三要素」をすべて満たした楽器ではあるが・・
ボクがギターを弾くことを知った彼は、その日よりチョクチョク店に来るようになる。
「コレ、どうやって弾くの?」 「Fコードの音が出ない」 「このアルペジオの弾き方は?」
初めは質問される事項を実際に弾きながら説明していたものだ。
ギター教室に通っている子なので基本的動作はわかっている。「言葉」で十分伝わる。
そんなこんなで適当に教えていたのだが、最近、彼のお母さんから、「お話」があった。
「いつもすみません。なんかお仕事の最中にお邪魔してギターを教わっているみたいで・・」
大変恐縮した面持ちで来店くださったが、ボクとすれば、「暇な店」でのジャレごと。
返す言葉にいささか躊躇してしまったのである。まさか、「暇つぶし」とは言えない(汗
「あの、どうでしょう・・」 と、さっそくの切り出しでお母さん・・
「本人も店長さんと弾くのが楽しいと申してますし、正式に講義をしていただけませんか?」
こ、こ、講義・・・??
某大学のオープンカレッジのお呼ばれで、「その名」は耳にしたことはあるが、おそらく店の中で
聞くのは初めてではなかろうか・・ 「えっ?講義、ですか? ギター、の?」
お母さんの話の流からそのようなお話だとは思ったが、とりあえず再確認をしてみる。
それは、ギター教室でのレッスンにそろそろ飽きてきた彼のたっての希望だ、という・・
当然ボクも、所沢の音楽教室に通いながら更にボクとギターをレッスンするほどでもない
「習いごと」だということは理解できる。時間的経済的浪費の発生は必定である。
だがボクはギター講師などやったこともない。「講義料」の申し出がある以上、責任もある。
そんなボクの不安を察してか彼のお母さんがこう告げてきた。
「ご心配なさらずに・・ギターが上手くなりたいとかじゃないですから(笑 」
チョコっと彼のギターと合奏した、「パフ ザ マジック ドラゴン」の話・・
「ラヴェルのボレロ」をCコードだけ延々と3拍子で弾き、指疲れて爆笑した話・・
または、ギターという楽器が元々は狩りの道具である弓矢だった、という話、とか・・
家族の会話にも弾みがつき、ボクと店で弾いたギターの話題でとても和んでいる、と。
「今通っているギター教室より楽しく弾けるみたいで・・店長さんのキャラですかね(笑 」
と、笑いながら話すお母さんの姿は、まさしく「子を持つ母親の愛情」から出ずるもの・・
期待されすぎても困るが、ここはひとつ、「初弟子」のつもりでシッカリ・・・遊ぼう! (^^)/
以前より増してギターを弾くようになった彼の上達ぶりは確かに体感できる程・・
ギターの基本奏法もさることながら、「楽しくギターを弾く」、そして理屈ヌキで
「まず1曲弾ける」ように、ボクも楽しむつもりである。
ガットギター、フォークギター、エレキギター、うむ・・・先は永い!

地元の歯医者さん宅の男の子だ。

もともと当店の会員であるお母さんとチョクチョク店には訪れていたので、
まるきり初対面というわけではない。スムーズにレッスンに入っていける。
むしろ彼の一家の方が、ボクがギターを弾くことに驚きの声をあげ、彼も
いつもの「ビデオ屋のオヤジ」のノリではない分、チョッと緊張していたようだったかな・・
「おじさん、ギター弾けるんだ・・」
8月も後半、まだまだ暑く酷しいある日のこと、バックヤードでギターを弾いていたときだった。
ふっ、と見ると店内との境であるドアの隙間から、クリクリの目玉がボクを見据えていたのだ。
店が暇だとどうにも労働意欲が涌かない。10坪程度の店内では業務も限られてしまう。
原稿依頼やボランティアごと等、店と直接関係ない諸事でもあればソレを中心に気持ちを
持っていけるが、なんにもないとただカウンターに居るだけの状態・・
1,2時間、時計とニラメッコが続けばいやおうなしにカウンターから遠ざかろうとする。
で、向かう先がバックヤード。 ここには常にギターが置いてある。 ポロン、と息抜き場所。
そんな暇つぶしでギターを弾いていたときに彼が訪れた。そもそもはコレである・・
彼のお母さんに聞くと彼は所沢にある音楽教室でギターを習っているという。
週一のレッスン、おもに音階理論と和音(コード)を就業の素とした課題曲の練習が主と・・
ギターの場合、音楽の三要素、すなわち旋律、和音、リズムのうち「和音」が最もその特筆
される楽器である。単音でもなく叩きつける打楽器でもない、和音の美しい楽器だ。
もっとも、あらゆる楽器中でもピアノとギターが「三要素」をすべて満たした楽器ではあるが・・
ボクがギターを弾くことを知った彼は、その日よりチョクチョク店に来るようになる。
「コレ、どうやって弾くの?」 「Fコードの音が出ない」 「このアルペジオの弾き方は?」
初めは質問される事項を実際に弾きながら説明していたものだ。
ギター教室に通っている子なので基本的動作はわかっている。「言葉」で十分伝わる。
そんなこんなで適当に教えていたのだが、最近、彼のお母さんから、「お話」があった。
「いつもすみません。なんかお仕事の最中にお邪魔してギターを教わっているみたいで・・」
大変恐縮した面持ちで来店くださったが、ボクとすれば、「暇な店」でのジャレごと。
返す言葉にいささか躊躇してしまったのである。まさか、「暇つぶし」とは言えない(汗
「あの、どうでしょう・・」 と、さっそくの切り出しでお母さん・・
「本人も店長さんと弾くのが楽しいと申してますし、正式に講義をしていただけませんか?」
こ、こ、講義・・・??
某大学のオープンカレッジのお呼ばれで、「その名」は耳にしたことはあるが、おそらく店の中で
聞くのは初めてではなかろうか・・ 「えっ?講義、ですか? ギター、の?」
お母さんの話の流からそのようなお話だとは思ったが、とりあえず再確認をしてみる。
それは、ギター教室でのレッスンにそろそろ飽きてきた彼のたっての希望だ、という・・
当然ボクも、所沢の音楽教室に通いながら更にボクとギターをレッスンするほどでもない
「習いごと」だということは理解できる。時間的経済的浪費の発生は必定である。
だがボクはギター講師などやったこともない。「講義料」の申し出がある以上、責任もある。
そんなボクの不安を察してか彼のお母さんがこう告げてきた。
「ご心配なさらずに・・ギターが上手くなりたいとかじゃないですから(笑 」
チョコっと彼のギターと合奏した、「パフ ザ マジック ドラゴン」の話・・
「ラヴェルのボレロ」をCコードだけ延々と3拍子で弾き、指疲れて爆笑した話・・
または、ギターという楽器が元々は狩りの道具である弓矢だった、という話、とか・・
家族の会話にも弾みがつき、ボクと店で弾いたギターの話題でとても和んでいる、と。
「今通っているギター教室より楽しく弾けるみたいで・・店長さんのキャラですかね(笑 」
と、笑いながら話すお母さんの姿は、まさしく「子を持つ母親の愛情」から出ずるもの・・
期待されすぎても困るが、ここはひとつ、「初弟子」のつもりでシッカリ・・・遊ぼう! (^^)/
以前より増してギターを弾くようになった彼の上達ぶりは確かに体感できる程・・
ギターの基本奏法もさることながら、「楽しくギターを弾く」、そして理屈ヌキで
「まず1曲弾ける」ように、ボクも楽しむつもりである。
ガットギター、フォークギター、エレキギター、うむ・・・先は永い!






